新宿・歌舞伎町には、今夜も若い女性たちが立っている。
スマホを片手に男を待つその光景は、もはや歌舞伎町の日常になった。
だが、この国ではかつて、「路上に立つ女性」が殺された象徴的事件があった。
1997年の東電OL殺人事件。
渋谷区円山町の古いアパートで、東京電力に勤める女性会社員が遺体となって発見された事件である。昼は一流企業の社員、夜は街頭に立つ――その二面性ばかりがセンセーショナルに消費されたが、本質は別にあった。
「路上に立つ」という行為そのものが、極めて危険だという現実である。
相手の素性は分からない。
逃げ場もない。
ホテルではなく、雑居ビルや空き部屋に連れ込まれることもある。
暴力、監禁、窃盗、性犯罪、そして殺人。
路上売春は、常にそうした危険と隣り合わせだった。
それでも、2020年代の歌舞伎町では再び“立ちんぼ”が増殖した。
しかも現代は、東電OL事件の時代よりさらに危うい。
SNSによって客探しは容易になり、「立ちんぼ」が半ばカルチャー化されている側面すらある。TikTokやXでは、大久保公園が“スポット”として消費され、危険より先に「稼げる場所」という情報が拡散される。
そこには、過去の事件の記憶が決定的に欠けている。
東電OL事件を知らない世代。
知っていても、「昔の話」で終わる感覚。
そして、「自分は大丈夫」という根拠のない自信。
だが、路上に立つ以上、危険は消えない。
相手がどんな男か分からないという構造は、1997年から何も変わっていない。
むしろ都市は、危険を“見慣れて”しまった。
大久保公園の立ちんぼを見ても、多くの人は足を止めない。
観光客はスマホを向け、YouTuberはネタにし、SNSは拡散する。異様だったはずの光景が、都市の日常へ溶け込んでいる。
東電OL殺人事件は、単なる未解決事件としてではなく、「路上に立つことの危うさ」を社会に刻みつけた事件だったはずだ。
しかしその記憶は薄れ、令和の東京では、再び若い女性たちが夜の路上に立っている。
まるで、過去の警告など存在しなかったかのように。


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